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Designers voice


 セヴランの語るSEVERIN SERGEというブランドの進む道と、セヴランというレザーアーティストについて



イタリア的モノづくり

美と快楽こそが全て

とてもマニアックな話をさせてもらうよ。ここを見てくれてるマイノリティー達の中の、さらにマイノリティーなエンスー、もとい『マニア』にしかわからないネタなので、興味のない人は読み飛ばしてくれたまへ。というか93年のDTMのアルファロメオ155に憧れたオッサン世代以外は読まんでよし!

ぼくはイタリア人のつくるモノが好きだ。もともとラテンのモノは好きだけど、とくにイタリア人のつくるモノが好き。今までにたまたま好きになって買ったモノが全てイタリア製だった。イタリアには素晴らしい作品が数多くある。日本人にも馴染みが深いところで言えば例えばクルマ。フィアット、アルファロメオ、ランチア。もちろんフェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、チゼータ、パガーニも。そしてクルマをデザインする素晴らしいカロッツェリア(ボディをデザイン、生産する工房)も多い。ピニンファリーナをはじめ、ベルトーネやザガート等。そして天才ジョルジェット・ジウジアーロのイタルデザイン。
アプリリア、ドゥカティ、ピアジオ(べスパ)も日本では有名だ。個人的にはマラグーティとイタルジェット、ジレラも好きだ。そして日本にはあまり関係ないところでは、コルナゴ、ピナレロ、デローザ、そしてカンパニョーロ等、素晴らしい作品たちがある。

ぼくは最近イタリア車を3台(クルマ2台、モーターサイクル1台)買った。という話をすると「おっ、フェラーリですか?それともランボルギーニ?」と聞かれるけど、「ふざけるなバカモノ」と言いたい。いくらなんでもあんな高価なモノをぽんぽん買えるわけないじゃないか。だいたい、ぼくはこう見えても庶民派なんだ。イタリアの古き良き実用車が好きなんだ。たしかにフェラーリのエンジンは素晴らしい。そしてピニンファリーナによるデザインも美しい。しかし、実用車ではないじゃないか。その上、最近の無駄に巨大化したフェラーリは好きになれない。F355は好きだった。最近はピニンファリーナも割り切ったデザインをしなくなってきて、どうしたものかと思う。無駄に巨大なボディ、無駄に巨大な排気量、無駄に巨大なホイール等、その『無駄』が大きければ良いと勘違いしているセンスのないアメリカ製っぽくて馬鹿っぽい。
ぼくの好きなクルマは、例えば60年代に生産されたアルファロメオ・ジュリアスプリント・スペチアーレ。これはジョルジェット・ジウジアーロの作品。天才的なデザイナーだ。ジウジアーロはランチア・デルタも良かった。ランボルギーニ・カウンタックを手がけたマルチェロ・ガンディーニのランチア・ストラトスもいい。クリス・バングルがフィアットからリリースした2台の作品、フィアット・バルケッタと、初期型にはランチア・デルタと共通の名機と言われるエンジン『ランプレディ・ユニット』を積み、ピニンファリーナと共同でデザインしたクーペフィアットも面白かった。そして今一番乗りたいクルマは、80年代後半にイタリアの名門カロッツェリアであるザガートによって限定生産されたアルファロメオ・SZ(スプリントザガート)。是非、古き良きFRアルファでニュルブルクリンク・ノルドシュライフェを走りたい。もちろん最近のフィアットに吸収されてからのFFアルファも十分に面白いし、とても好きだ。現在はスペインのセアトに移籍してしまったワルター・デ・シルバのデザインも素晴らしいと思う。ジウジアーロの新作であるアルファロメオ・ブレラも是非、欲しいと思ってる。

ここまで読んでもらえれば、わかる人は『あ、このオッサン、マニアっていうかただのドMの変態だな』と思うかもしれないが仕方ない。

上記の作品たちの何が良いのか。ぼくが好きな理由は、ぼくのモノづくりに対するコンセプトとイタリアのモノづくりに対するコンセプトが同じだからだ。
つまり『美しさと快楽を追求すること』である。単純に優れた工業製品なら日本製かドイツ製が一番だ。しかしイタリア製には『美と快楽』がある。例えば、アルファロメオやフェラーリの魅力は、個性と造形美、美しいデザインとシャープなハンドリング、そして世界一官能的なエンジンだ。『クルマの楽しさ』とは何かをよくわかっていて、楽しいクルマ、気持ちいいクルマをつくっている。エンジンのフィーリングやサウンド、ヒール&トゥやシフトアップ時のシフトフィール、コーナリング中のロール。特にエンジンはただただ良い。最高に良い。世界で一番良い。最高のエンジンだ。でも遅い。はっきり言って遅い。そしてはっきり言ってイタリア車は壊れまくる。しかも造りもあまりよくない。じゃあ何がいいのかと言えば、エンジンのフィーリングとサウンドだ。4500回転あたりからキレイにレブリミットまで吹け上がり、素晴らしく美しい上品なエンジンサウンドを奏でる。造りの悪さや壊れやすさを補って余りあるほどの美と快楽がある。わかる人がこれを一度味わうともう中毒になる。だけど、逆に言うと味わわないことには良さがわからない。だから日本では売れないのだと思う。もちろん、それには他にも理由があるわけだけど。日本人はモノは壊れちゃいけないと思っていたり、95%の人がATを選ぶ運転嫌いであったり(イタリアでは95%がMT)。
つまりイタリア製は、日本製やドイツ製とは真逆のモノづくりをしている。(フランス製は同じラテンが入っていて面白いけど、イタリアとはちょっと違う)日本製は素晴らしいモノをつくるけど、とにかく壊れないモノを優先する。つまり「エンジンフィール?サウンド?そんなものを重視したら壊れるからダメだ」、「デザイン?カラーリング?とにかく生産しやすいデザインにして長持ちするカラー塗っとけ」と。
これがイタリア(アルファロメオやフェラーリ等の)になると真逆になる。とにかく楽しいモノ、気持ちいいモノ、美しいモノを造ることを最優先する。だからエンジンの耐久性よりもフィーリングを重視し、タイミングベルトテンショナーに樹脂製のものを使ったり、美しいけど2年で色褪せてしまうカラーリングをしていたりする。そのせいで2万キロごとにタイミングベルト一式交換しなきゃいけなかったり、塗装はすぐ剥がれたり錆びたりする。

だけどそれの何がいけないんだ?最高のフィーリングが手に入るのだから、それなりの犠牲が必要に決まってるじゃないか。モノは壊れるのは当たり前だ。できるだけ壊れないように大切に扱い、壊れたら直せばいい。そして最高のフィーリングを維持する。それが『モノを愛し、大切にする』という精神、日本人に欠けている大事なことなんだ。

『壊れないモノをつくる』ということは、その一方で良さを必ずスポイルしなければならない。例えばフィーリングであったり、造形美であったり。逆に言うと最高の『美』や『感』は耐久性をもスポイルすることによって初めて生まれる。すべてを犠牲にするからこそ良さが光る。それが芸術だ。
だからぼくの作品も、耐久性をあえて犠牲にすることがある。例えばステッチの場合、本来なら丈夫な麻糸やシニューを使うところを、あえてコットンを使ったりすることがある。これは発色を重視した場合で、麻糸やシニューは丈夫だけど、発色があまり美しくない。だから麻糸は白や黒、こげ茶等のスタンダードな色のステッチに使う。コットンは摩擦に弱く耐久性は少し劣るものの、発色が実に美しい。ピンクやオレンジ、ライトブルーなんかは麻糸とは比べ物にならないくらいキレイなんだ。コットンで縫製した作品は数年経てば切れるかもしれない。(今まで切れたことはないけど)だけど、切れたら直せばいいじゃないか。糸が切れても簡単に直せる。そのために糸が切れてもほつれないように縫製は総手縫いで縫ってるんだ。
染色も丈夫な顔料を塗ってしまえば色落ちしないし、革の傷も隠せる。でもそれでは革本来の美しさがまったく保てない。だから全て染料染めにして、革そのものの表情を残している。色落ちはするし傷もつくけど、それが味。ナチュラルな革も使い込めば日焼けして色が変わる。それと同じことなんだ。
コバ仕上げも本来、わざわざ何度も磨き上げ、カラーコーティングまでしてあそこまで美しく仕上げる必要はない。でも、美にこだわるからこそ快楽があるんだ。

革製品もクルマなどの機械も基本は同じだ。大事に扱えば長持ちするし、愛情のない使い方をすれば機嫌をそこねるし、間違った使い方をすれば壊れる。そして壊れたら直してまた使う。日本人は『もったいない使い方』をしている人が多い。もったいない使い方をしてはダメだ。『モノを愛し、大切にする』という精神を、モノが溢れた国に住み忘れてしまった日本人にこそ今、必要なんじゃないかとぼくは思う。良い技術はそこから生まれるのだから。
セヴラン
Severin

レザーアーティスト
Leather artist
カリスマ変態

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